ははずきんちゃん

考えすぎて何かとわからないこともわからなくなる子育ても悩む私の日々です。

妊婦中 祝福されない 妊婦だと

狼 恐怖
「妊婦中にたくさん祝福を受けないと幸せの実感が湧かず
子育て中も不安ばかりが膨らんで愛情がうまく注げなくなる」というようなことが
本か何かに書いてあった。
それを読んだのが息子が1歳過ぎてからだと思う。
そうだったのか。納得。

息子が1歳になった時、生きて育ってくれたことに涙が出た。
日々、必死に過ごしていたため息子との時間を
嬉しいとか楽しいということはなく
1日1日、1日の終わりに今日も生きている。
また明日もどうにか生き延びられますように。
どうしても体に力が入らない、どうやったら足で踏ん張れるのかわからない状況の中
息子が1歳になり無事でここまで生きてこれたと涙がでた。

妊婦中はお腹の中で息子が筋腫に振り落とされるというのが前提で
お医者さんが私に期待を持たせないように
いつどうなってもおかしくないからと
どの先生からもダメだろう。と言われ
毎回の妊婦検診は小馬鹿にした薄笑いな感じ
先生はハスに構えた態度だった。

ここまで来たら無事に生まれる!となった時に
「ようやくここまできた!もう大丈夫だ。」とほっとしたように言ってもらい
先生が私と息子を気にかけてくれていたことを知った。

「生まれない」が前提だったので私はほとんどの友人に伝えることもできず
無用な外出もできず出血の恐怖と戦っていた。

夫、父、姉、ひとりの友人にはたくさん心配してもらった。ありがたい。

そんなこんなで産後、出血の恐怖から解放されるかとほっとしたのもつかの間
息子が生まれる前に義母から「これからが大変よ。」と脅され
妊婦中に感じていた恐怖より地獄の日々になると植えつけられ
産後どういうことが起こるのかと更に怖くなり
冷や汗をかきながら生まれたての息子とNICUで対面した。
その恐怖を引きずったままで子育てをしていたので
子育てというものを楽しめず。。母性も出ず。。

何で息子に母性が溢れないのだろうと不思議に思っていた。
しょうがないので私には母性がない。と諦めていた。

そしてこの記事を読み腑に落ちた。
「妊婦中にたくさん祝福を受けないと幸せの実感が湧かず
子育て中も不安ばかりが膨らんで愛情がうまく注げなくなる」
妊婦中、ほぼ祝福されてない。

妊婦中に感じていたエリート妊婦との差を
子を育てている日々も無意識に感じていた。

息子3歳になり幼稚園へ行く。
その頃からほっとして息子をかわいいなぁ。と思える時間が増えてきた。
今4歳の息子はお肌のトラブルがあったり
まだまだ心配事はあるけど、毎日とてもかわいい〜。母性溢れる私。

子供が生まれた頃から親からの助けがあったり
祝福を受けたりして心に余裕がある人の子育ては幸せなのだろうな。
現に幸せそうな顔してた。

人それぞれ環境が違う妊婦さんや子育てなのだから
保健所の人などはそういう環境もみてアドバイスしてくれたらいいのに。
区の助けますよと待ち構えてくれる人たちは
結局、他人事で杓子定規な物言いで、結構厳しく
大したアドバイスしてくれる人はいなかったなぁ。

傷口は 目立たなくなるか マイクロボア

サージカルテープ

結局、マイクロボアを剥がした時に見る傷口にもまたパニックを起こし
せっかく貼ったマイクロボアを頻繁に剥がしていた。

マイクロボアを貼って剥がしてを繰り返しどうしたらいいか
分からなくもなっていた。

そして3週間の入院から
家に帰って息子2ヶ月くらいのころ
私はひどい便秘なり
ものすごく焦り、冷えて便秘になったのかと思い
下着の上からカイロを貼って下腹部を温めた。

傷口が低温やけどのようなものを起こしたのか
しばらくして猛烈に痒くなり、結局幅1、5センチ
縦10センチほどのケロイドが。。。
せっかくのテーピング作業も台無しに。

息子が泣いていて(泣いていなくても泣いているように思い)
ゆっくりトイレにも入れず。。
肛門が便で蓋がされたようになってしまったため
私はパニックに陥り、どうしても便を出さねばと
泣きながら何日間か指で便を掻き出す作業をし
肛門も負傷し出血しながらなんとか便を出した。

冷静に考えれば傷口の上にカイロを貼るなんてしない
うんちを掻き出すこともしない。

マイクロボアを貼り続ける余裕も結局なくなっていた。

毎日お腹を見るたび生々しい傷跡に鬱々とし
育児の分からないことも分からない
靄のかかった薄暗い場所を息子を抱えて彷徨っていた。

夫が夜お仕事から帰宅後、生きた息子をようやく夫に繋げる。。
朝になりまた夫がお仕事へ行ってしまう。。(行かないで〜)
毎日、恐怖を感じ、手が震えていた。

今日も息子が元気で帰宅した夫に手渡すことができますように。

そして夫のお休みの日は、私はほっとして一気に疲れが出て動けない。
体調も精神状態も悪い日々。

このような状態が続き私を心配し夜の授乳を見守ってくれた夫は私と共に
産後鬱になりました。すでに人手不足。
仕事も育児も私の心配もしてしてくれる夫は過労にもなっていたと思う。

夫婦で転覆しそうな筏にどうにか息子も乗せて
荒れ狂う暗闇の中どこまでも必死で筏にしがみつき
筏の上でボロボロの破けた服を着て励まし合いながらどうにか過ごしていた。
いつか浜辺に辿りつけることを願いつつ。(つづく)

 

話はそれましたが、冷静に対処できればマイクロボアで
傷口は綺麗になっていたと思う。
傷口にカイロを貼ってはダメ
寒くても便秘でも傷口にはカイロは当てない方が無難かと思います。

目立たなく 手術の傷口 テープ貼り  

マイクロボア


帝王切開の傷口にテープを貼っておくと
傷口が目立たなくなると先生に教えてもらった。

ゆっくり傷の幅が広がっていかないように
ミミズ腫れのような大きな傷やケロイドにならないように
予防するためにテープを貼ると良いのだそう。

<用意するもの>ーーーーーーーーーーーーーーーー

  • 「マイクロボア」3M
  • 1〜1.5幅 病院では450円くらい。 

 「マイクロボア 3M」(テープ)を左から右に隙間なく貼る。
傷に垂直にテープを貼ると良い。

お風呂で剥がれたところはその部分だけテープを貼り直す。
繰り返すこと1ヶ月。
腹帯もつける。
引きつりも1ヶ月程度で気にならなくなってくる。

 

この他1ヶ月程度で
人それぞれだけど
お腹の傷の凹みも気にならなくなってくる。
股の出血も減ってくる。なくなる。


傷口を見ると憂鬱になる。
早く傷口が目立たなくなりますように。

母いない 惨めな想いが 溢れ出る

小公女セーラ


2015年3月9日生後10日目

息子、正式にNICUから退院。今日から新生児扱い。

昨日、義母がきて「兄の家族は息子も受験で大変な時だから来れないのよ。」と
言っていた。もやもやと「息子も」の「も」に引っかかる。

そんなに引っかからなくてもいいのかもしれないけど
妊婦中からの恨みが継続してしまっているようだ。

誕生した命と受験が同等なのかー。
受験に落ちたら命も危ないかもしれないし受からないと大変よねー。
そうだよねー。

息子3〜4時間、間隔で授乳。
3時間半くらいのペースが程よいかも。
1回60ccずつ、様子を見ながら毎日増やすようにとのこと。

朝、起きると
息子のおでこにプチプチと水滴が付いているような出来物ができている。
足には赤いあざ。助産師さんに聞いたら、気にしなくて良いって。
赤ちゃんは毎日、色々できて治るそうだ。

しゃっくり中にミルクあげても大丈夫?と聞いたら
逆に止まるかもしれないからあげて。とのこと。

ひと安心して助産師さんに息子を預け
電話へ売店へ行きシャワーを浴びて赤ちゃんルームへ戻ると
息子の授乳時間になり
助産師さんに「涙流すまで泣いててかわいそうだった。
授乳時間には戻って来なさい。」と叱られ、落ち込む。
「もう帰ればいいのに〜」と意地悪く言う助産師さんもいる。

助産師長さんに「20日まで入院を約束しているのだから安心しなさい。」と
言ってもらい元気にもなるが、たくさんの助産師さんの中で
意地悪な人や優しい人がいて混乱する。

産後、弱っている時に
母がいないと甘えられず気が休まることもなく、惨めな気持ち。
みんなには頼れる母がいるというのになんで私だけ。。
年齢はいい大人かもしれないが、親に頼って幸せそうな人たちを見ていると辛い。
小公女セーラが浮かぶ。

  • 母乳消化が早い→うんち柔らかめ
  • ミルク消化が遅い→うんち固め
    (ミルクの場合は次のミルクまで3時間あける。)
  •  夜22時沐浴した場合22時半頃までにお着替え終えて
    その後、授乳して23時頃寝かせる。
    退院後は私が沐浴して息子に何かあっては大変なので
    夫に沐浴お願いすることになるだろう。
    なので夜になる予定のスケジュールを助産師さんに教えてもらう。

お仕事を早く上がってくれて
夫が19時半〜20時までの30分間会いに来てくれて緊張がほぐれ
夫のいる間ほっとした。 

いただいた くもんのこども 鉛筆6B

園のお友達のお母さんにもらった「くもんのこどもえんぴつ6B」

さんかく鉛筆1日目。

筆圧の薄い息子4歳が「使ってみる〜」と言うので
早速、試してみるまだ文字が薄い。

文字を書くのが好きで2歳の頃からずっと書いている。
最近、文字を書くのに慣れてきたらアレンジも入り
だんだん字が下手になってきているが
楽しんでいるなら良しとする。
先輩ママ曰く、早く文字を書き始める子は字が下手になるとのこと。
息子、絵はあまり描かず、文字に夢中。
好きで書いているのに上手になることを求めすぎて
書くことが嫌いになっても困るから
今は自由に好きなように書けばいいかな。と思ったりしているが
揺らぐ。。しょうがないかな。

筆圧が薄いので今まではペンで書いていた。
これからはこの鉛筆で少し練習してみよう。
だけどまだペンの方が興味がありそう。

 

さんかく鉛筆2日目。
使用。だんだん濃く書けてきた。
試す価値あり。修業中。

くもんのこどもえんぴつ6B

くもんのこどもえんぴつ6B
三角鉛筆の断面。
小学生が使うような5角形の鉛筆より気持ち太い。
長さ12センチ 直径0.9センチ。

持っている鉛筆削りでは小さくて入らなかったから
今度くもんのこどもえんぴつ専用の鉛筆削りを買わねば。

https://www.kumonshuppan.com/stationery/stationery-syousai/?code=53330

 

 くもんのこどもえんぴつ専用 鉛筆削り

カッコいい ポッポのポテトの パッケージ

ヨーカ堂のポッポで夫と4歳になった息子と味噌らーめんと山盛りポテトを食べた。
蓋を閉めると「P」の文字が繋がる!と息子。
自立して立つ。
持ち運びにも便利。
デザインした人センスある。
誰だろうとネットで検索したけど
適当な調べ方だからか見つからない。

ポッポ フライドポテト

 

ポッポ フライドポテト デザイン



ポッポ フライドポテト デザイン



ポッポ フライドポテト デザイン


この斜め後ろ姿の立ち姿、曲線がまた素敵。

ポッポ フライドポテト デザイン


ポッポのポテトを全部食べてしまい
後から購入したマックのポテトSを入れて撮影。

ポッポ フライドポテト デザイン


家に帰ってしばらくしてから
笑点好きな息子と笑点をみていると
たい平さんが座布団10枚獲得!
いっぱいの蟹をもらえました。蟹一杯。

笑点 座布団10枚 林家たい平 

4歳の息子は三遊亭小遊三さんの「いないいないアランドロン」を
よく真似しています。小遊三さん魅力的。
今、気が付いたけど三遊亭小遊三さんの名前って「三」「遊」が
2つ入っている!初めて知った。

初めての 息子と同室 洗礼が 

2015年3月8日生後9日目 

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初めて息子と一晩過ごした。寝不足。
息子は昨晩、猛烈なウンチが勢いよく吹き出し
ミルクをいつ飲んでいるかのチェックする用紙がウンチまみれになる。
息子、数分泣き続けそのあとフリーズした。
何かおかしな症状なのかと助産師さんに聞いたら
赤ちゃんにある反射だから気にしなくて良いとのこと。

家で初めてフリーズしたらすぐに誰にも聞けずに
パニックになるところだったと思うと怖い。
わからないことは病院でなんでも解決してから家に帰りたい。

息子ミルク80cc飲んだらよく寝た。

夫、起きたら35.8度になっていたそうだ。疲れだったのかな。
夫タクシーで12時50分病院到着。

夫に傷口をみてもらうとメキメキとよくなっているとのこと。

今日は義母、姉の夫婦、姉の旦那さんの両親がやってきた。
義母が「嫌だと思うけど。。誕生日一緒なのよ。」と言った。
親子仲の悪い夫は義父の職業も誕生日も義母の誕生日も知らない。
衝撃の事実。
帝王切開で少しは手術の日を選べたのに誕生日が同じだったなんて。
だけどそのために手術の日をずらしていたら
母子共に大変なことになっていたかもしれないから
これでよかったんだと自分に言い聞かせた。だけど本当は嫌だ。
恨んだような目つきで私は夫を睨んだ。
だけど今までものすごく夫にお世話になっているし
夫が知らなかったのだから仕方ない。こんな親子もいるのか。
小さい頃から肝心な説明がされず育ったと結婚する前から聞いていた。

私の父が夫の人柄に惚れ込んでトントン拍子に結婚したのだから仕方がない。
結婚が決まり初めて家族同士が会った時も私の父は特に夫の両親の仕事も聞かず
義父はきっと研究者に違いない。と勝手に理解した父。
私の父は基本、能天気。
義母に関わると酷い目に合うジンクスがあるので怯える。
今回は信じたくない嘘みたいな話で嫌な思いをしているからこれが置き土産か。
私の体は無事か。息子は元気か。
夫は昨夜の熱が前夜祭みたいなものだったのか。
息子のフリーズも前夜祭だったのかも。

息子のヘソの出っ張った部分が取れてきた。
シャワーを浴びている間、助産師さんに息子をみてもらった。
母乳とミルクをどんどん飲んでいる。