ははずきんちゃん

考えすぎて何かとわからないこともわからなくなる子育ても悩む私の日々です。

2014年11月21日入院生活8日目22週ころ

家恋し 病院出るのも 怖いけど

3回ほど目が覚めたけど一応眠れた。
7時40分頃、胎児心拍確認。
トイレに行くとまた出血。
今日、退院予定だけどダメだったら一時退院にしてもらおう。
朝食までゴロゴロ寝る。
アンちゃんやって来て
「今日、お昼頃1回家に戻って病院(持病で通院しているところ)行くから
セーターにセーターじゃ変かな」
私「それより風が入ってきたら寒いよね〜」などとお話して
退院するかもしれないからアンちゃんがメールアドレス教えてくれた。

お部屋で朝食、ロールパンは夕飯用に1個とっておこう。
歯磨してアンちゃんに朝の出血で憂鬱だと話しながら歩く。

アンちゃんトイレに行くと言うので部屋に戻る。
よく昼寝もできるようになってきた。退院出来そうで力も抜けてきたかも。
ゴロンとしようとしたら先生やってきた。
先生「どうかしら?」
私「トイレ入ったら出血しました。」
先生「大丈夫だと思うけどね。1時頃エコー検査しますね。」

寝てたらホルダー検診と胎動があったらボタンを押す検診。
入院の時みたいな5分に一回の張りはなくなったみたい。
Ipod聴きつつ寝ちゃった。
お昼ご飯来ないと思っていたらテーブルに届いていた。
寝ぼけて辛いけど食べる。
すぐトイレ行くとまた出血。優しく出しているのに出る。
また寝る。
2時にようやく診察呼ばれ寝起きで体プルプル。
先生急いでいる。これから帝王切開の手術に行かなきゃいけないそうだ。

内診してもらう。
先生「痔かな。ピンクだけど。。出血してないけど不安?」
私「不安ですけどこれでも大丈夫だということですね。」
順調に育っているとのこと。頸管3.6センチ。
顔写ってない太ももだけの画像もらった。

助産師さんから入院の支払いの用紙をもらい、部屋に戻り荷物整理。
髪の毛キレイにしてお化粧をした。
少しスッキリして、横になりながら夫が来るのを待つ。
4時半ころ夫到着。
大判焼きとたいやき頼んで買って来てもらった。
大判焼きの方が美味しかった。たいやきは、しょっぱかった。
1階で夫に支払いしてもらい5階の受付で手続きしてもらい完了。
タクシー乗って帰る。
「久しぶりに外出られたー」
家に着いたら、お部屋がとてもピカピカしているように見えた。
夫が磨きあげたのかと思ったら、いつもと同じだって。
夫、ペペロンチーの作ってくれて、ドラえもんがやってた金曜日。
幸せな日常。

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2014年11月20日入院生活7日目

環境が 似てるからかな ホッとする

途中、起きたりしたけど4〜5時間眠れた。
昨夜の田中さん別人のように静かだったな。
私がうるさいって思っているのわかったのかな。
そんなこともないだろうけど、あれだけうるさかったのに静かになると気になる。
朝方5時に昨夜、夜食にもらった紅茶メロンパンを食べた。
お砂糖落ちる〜。ゴロゴロしながら食べるなんて家じゃ出来ない。ちょっと楽しい。
少しウトウトして6時過ぎに絵日記描いた。
ティさんの様子を助産師さんが何度も診に来る。
ティさんにまだ管はつながっているけど特に目立った痛みはないみたい。
助産師さんにお水を飲ませてもらってスヤスヤ寝ていた。おならはまだ出ないらしい。

ラジオ聞きつつゴロゴロ。胎児心拍確認。元気だった。
朝食後、歯磨きに行ったらアンちゃんがいてお話をする。

膣洗浄の時間になっても呼ばれなく、10時に呼ばれたけど先生来なくて
私は台に乗ったままお尻を出したまま冷えながら過ごす。
ようやく先生が来て診てもらう。
私「トイレで踏ん張ったらうっすら出血しました。
2回出血と黄緑色のおりものです。」
先生「ちょっと茶色いのが出ますね。」大丈夫そうな言い方。

次はホルダー検診。
胎児が動いたらボタンを押さなければいけないのに寝ちゃった。

アンちゃんから井戸端会議の集合がかかり参加。
年の話になった。
61年生まれ60年生まれ58年生まれ。
私51年生まれ。なんだか辛い。いつ年とった?
38才には見えないと一応驚かれた。メルヘンちゃんとあだ名がついた。

部屋に戻って母親学級の用意をして30分寝る。
病院内の母親学級、5分遅れで着いて話し合いコーナーがあって
そういうところに集まる妊婦さんはエリート妊婦。私、疎外感。
お話を聞いても私に当てはまらないことばかり。
悲しくなりながら病室へ戻ると、前のお風呂の人が私に声をかけてくれた。
あれ?休もうとしているのに私4時半だけどなぁ。まだ3時45分ころ。
声の主を見つけようとしたけど、もういなかった。
助産師さんに聞いてもわからずにいると、私の声に気がついた人が出てきた。
30分みんな早くなっているので入ってもいいですよ〜。とのこと。
足湯しながらシャワーを浴びる。
次の人は産科じゃないから声かけるのに元気な人だといいなぁ。
恐る恐る次の人の病室へ行く。そしたらいつも廊下を歩いているおばあちゃんだった。

夕飯、食べる前に母親学級で悲しかった複雑な気持ちを
アンちゃんに話したりした。
あんちゃん31週「頸管は1.5センチで1週間経っても変わらないから体質かもって。
あと1週間様子見だよ」

夫がやってきて夕飯の牛乳をあげる。いらないらしいけど飲んだ。
アンちゃんも一緒にお話する。なぜか旦那さんと出会った場所を教えてくれた。

みんな解散し、胎児の心拍診てもらい大丈夫と確認してもらった。

2014年11月19日入院生活6日目

眠いのに いびきの邪魔が 入ります

となりの田中さんのいびきが大きいので ipodデスメタル聴いて一晩かき消す。
1時間から2時間置に起きてようやく朝になり頭モヤモヤ。田中めっ。
朝の胎児心音検診。朝食。膣洗浄。
ホルダー検診
助産師さん「いつもとちょっと違う機械だからエラー出ちゃう。」
飽きるほど試して、しばらくしていつもの機械もって来た。
助産師さん「あれ?赤ちゃんの心音落ちゃってるかしら。」
私のお腹の動脈とってるかもとか。
途中、他の助産師さんが飛んできて、気にしなくて大丈夫と言った。
今23週。この機械だとちょっと早過ぎる機械だったらしい。心配したよ〜。
その後も動いている事が確認できた。

昼に姉が来たけど疲れるからすぐ帰ると言って帰って行った。
歯磨いてトイレ入ってゴロン。
昨日、入院してきた隣ベッドのミャンマー人のティさんが
帝王切開の準備をしているので勉強になる。
昨晩に座薬入れて、今朝も座薬入れたけど思ったほどトイレに行っていない。
特に痛みもないらしい。
9時頃に旦那さんが来て、13時頃手術に行ってお昼頃戻ってきた。女の子誕生。
足にしびれはあるみたいだけど痛みは出ていないみたい。
旦那さんは産まれてすぐ教会へ行った。

田中さんはひたすら、いびきをかいて寝ている。
ティさんと田中さんの間にいる私。

私は1時間ほど寝る事にした。お風呂の用意もしつつぼーっとしていた。
ラクラする寝不足か起きたばかりからか。。
そしたら私を呼ぶ声がする。
3階で同室だったアンちゃんだった。
アンちゃん「お風呂入ってきたから呼びにきたよ〜」
私「ありがとう。移動したの?」
アンちゃん「そうだよー」
お風呂へ行き温まる。冷えがとれたら体調良くなるかな。
髪の毛乾かしたり、爪切りしたり一通りしてまたゴロン。
田中さんのいびきで眠れない〜。あと2日乗り切れられるかな。
18時夕飯。私ってサバ食べられるんだっけ?心配なので半分残す。
食べたらスッキリ。お見舞いに来てくれた夫にサバ半分食べてもらう。
ティールーム移動して夫とお話していたらエクレア食べにアンちゃんも来た。
面会時間が終わりに近づき、夫が帰ろうとした時、先生がやってきた。
先生「定期検診の事なんだけど。。」私をわざわざ探して会いにきてくれたみたい。
それで私も先生に質問したい事があったのでメモをしたことを聞いてみた。
私「今後どんな風になったら心配すればいいですか?」
先生「痛みや入院したときのような出血がまたあったら電話してね。
ちょっとの出血が混ざるくらいなら心配いらないわよ」
私「湯船に入っていいですか?」
先生「いいわよ」
私「退院してからどの位動いていいですか」
先生「次の検診までは近所歩くくらいかな。それから様子をみて決めましょう」
私「鉄剤はもういらないですか?食べ物でなんとかします。レバーとか」
先生「食べ物でも何とかなるからまた血液検査しましょう。
帝王切開で出血多そうだったら前もって血液を貯めておく事も出来るし」
私「ウテメリン飲んでも痔の薬と頭痛薬飲んでもいいですか?
(処方してもらっている薬)」
先生「いいわよ。検診の日はちょっと多くなるかもしれないけど調整しておきます。」
私「年末、安心して過ごせるようにお願いします。」
先生とお話できて夫も帰宅。
歯磨して寝る準備してゴロン。
しばらくすると胎児心拍検診。元気なようでほっと安心。
田中さんのいびきに負けないように早々に目をつぶる。
10時まで目を閉じよう。でもなかなか眠れなかった。

2014年11月18日入院生活5日目

突然に 退院告げられ ビックリだ 

田中さんのいびきに負けず一応4時半まで眠れた
夫にメールするには早い時間。ゴロゴロしてIpodでラジオ聞いて6時になる。
昨日の夜食のチーズデニッシュ食べる。この時間やっぱりお腹が空く。

同じ病室にいるベッドの向かい側の妊婦さんはつわりが酷く
他の病院でも入院してつわりがおさまらずこの病院に転院。
夜な夜な何度もトイレに吐きに行っているみたい。何度も仕切りのカーテンが開く。
子供は2人いてその時もつわりが酷かったのに今は3人目に立ち向かっている。
点滴してもおさまらず死ぬほど辛くてもう殺してください。と
助産師さんに訴えたみたいなのだけど親身に励まされながら
なんとか過ごせているようだ。
その時、励ましてもらった助産師さんに感謝しながら病室にいる。
つわりの時期もとっくに過ぎているのにまだ気持ちが悪く
長い間頑張っているようだった。

となりの田中さんは相変わらず大いびき。

今回のお部屋は大通りに面しているので車の音がよく聞こえる。
7時半頃、胎児心音確認。今日はすぐ見つかった。
朝食完食。キャラメルパンもあり嬉しい。
その後診察、内診。
先生「やっぱりびらん出血ねー。他は大丈夫だから帰る?今週いっぱいいる?」
私「え!?水曜とかどうしよう。もう少し考えます。」
心の準備していなかった。突然の退院へのすすめ。
びらん出血:ちょっとこすっただけでも出血。
      飲み薬のウテメリンでは止まらない。
      だけど心配する出血ではないからお風呂も入って良い事になった。

入院して日々の細かい検査で分かった事なのかな。
初期からびらん出血だったのにお風呂今まで禁止だったってこと?!
よくわからない。
他のお医者さんも出血の原因を調べるには入院が必要とも
以前、言っていたのでしょうがないのかな。

ベッドに戻る。
助産師さん「退院いつでもいいですよ。明日帰るとかその時に言ってもらっても」
私「主人に相談してまた決めたいと思っています。土曜に検診なのでその時に退院でもいいのかな。」

胎動感じたらボタンを押す機械をつけ
ベッドでゴロゴロしながら動きを確認。
助産師さんに胎児の足がお腹から突き出ているのを教えてもらう。

昼食ほぼ完食。ダマになっているご飯は残す。
ゴロゴロ仮眠。
4時半にシャワーの時間の予約をした。それまで暇だなぁ。
夫がもってきてくれたゆるキャラの本をみる。
あたまがふくしまちゃんって何〜?(いろいろなキャラみて半笑い)
姉がもってきてくれた『となりの関くん』読了。関くんすごい。
ようやく4時半。足湯とシャワーする。1人30分。
靴下2足とパンツと手ぬぐいを洗い
お部屋戻って干す。化粧水つけたりドライヤーしていたら5時半。
お腹張ったー。
ひとまず横になり絵日記かいてラジオを聞く。
夕飯の後、夫がきた。
夫に新しいパジャマ持ってきてもらい着替えしておしゃべり。
次の日、夫がお休みなので金曜日退院にすることにした。
夫8時面会時間終わり帰宅。
普段、この時間には家に帰って来れないのに入院中頑張って面会に来てくれている。
その気になれば早く帰ってこれるのか。
それとも会社の人が融通を利かせてくれているのかな。

助産師さんにお腹の確認してもらい元気とのこと。よかった。

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2014年11月17日入院生活4日目

立ち代わり お話出来て 楽しいな

2時間おきに起きてぐっすり眠れない。
朝6時40分ころお腹が張っていると思い
トイレに行くとおりものに赤い血がまざる。退院のびそう。
病院で昨夜夜食でもらったパンを食べる。朝お腹が空くので助かる。

7時半頃、胎児の心音を診てもらい
朝食を完食する。
朝の検査が始まり待合室へ。膣洗浄。
「出血してるなー、退院はもう少し先だなぁ」

しばらくするとホルダー検診もはじまりお腹の表面に装置をつけてもらう。
助産師さんか看護師さん「お腹の子が動いちゃっていなくなっちゃう。」
私「昨日から見つかりにくいみたいです。」
いた!と思っても逃げちゃって今日は装置を何度もつけ直し。

インフルエンザワクチン突然受ける事になる。
安静生活だから必要ないとしばらく抵抗してみたけど
退院時に流行するわよと先生が言う。
はい。外に出られることを夢見て打つことにします。

入院している妊婦さんたちの井戸端会議に参加。

てんかんパニック障害持ちで薬飲みながら頑張っている妊婦さん。
エコー検査で子宮頸管が短すぎて赤ちゃんの頭が触れるくらいになってしまい
入院している妊婦さん。6才の子供が1人いるのだけどその時も短かったそうだ。
双子がお腹にいる妊婦さん。

みんな点滴を片手につけて歩いている。

お昼ご飯を食べてゴロゴロして休んでいたら
助産師さんか看護師さんに「容態が良いので5階へ移動になります。」と
部屋の移動を告げられる。
今は3階。せっかくお話できて楽しかったのに。

私「わかりました。いつからですか?」
助産師さんか看護師さん「今すぐです。」
ベッドの上を整理して荷造りをする。これで安静かね。疲れた。
5階へ移動しまた始めからベットや周辺を作り直し。
それからお風呂に入る。
3階はシャワーだけだったのに浴槽があり広い!
まだ湯船にはつかれないので足湯。快適〜。
3階の人にも教えてあげたい。
なんて少し浮かれつつも
私は父とけんか腰にメールしたりしていた。
この微妙な妊婦の精神状態やこの辛さをもっと知ってとばかりに。

姉の旦那さんがお見舞いに来てくれた。
ふらののブドウジュース大瓶をもらい喋っていたら背中が冷えた。
気分が下がる。波長がなんだか合わないのが原因か。
帰ったのでベッドに入って休む。

そしたら先生やってきて見慣れた顔でホッとする。
先生「膣の入り口から出血しているので」
私「びらん出血ですか?」
先生「そう。それ。」
私「止まりますか?」
先生「物理的に性交渉とかしなければ大丈夫」
とかなんとか。
夕飯後ゴロン。夫を待つ。
夫が白い大判やきを買ってきてくれて食べる。
豆乳クリームと生地のモチモチがいいね。いつものさざえの大判焼き
1時間くらいお話して私のお腹が張ってきた。
ベッドに戻ると胎児の心拍検診。今夜はすぐに見つかった。

そしてゴロゴロしつつ今夜は眠れるかな。と思った矢先
ウゴゴ〜といびきが聞こえてきた!これは田中さん!
3階で隣だった田中さんが5階へうつりまた同室になったのか!!
いびきの田中さんに縁を感じながら寝る。
一応4時半まで眠れた〜。
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2018年4月から3歳の息子の睡眠の変化

 寝かしつけ? どうやるのかな わからない

息子が3歳になってから夜の睡眠に異変が起きた。

2才すぎまでお外遊びの帰りにベビーカーで寝る習慣があり
そのまま家でも寝て13時半から15時半くらいまで昼寝をしていた。
一緒にお昼寝できて楽。
そのかわりほぼ毎日お外で遊んでいるのだから楽だけでは済まされないのだが。。

2才半くらいから昼寝がなくなり18時半に寝ていた息子。
早くて寝てくれて楽。
夕方16時頃夕飯→17時半お風呂→18時半就寝。
寝るときは指しゃぶりをしながら私にバイバイと手を振り
寝室のドアを閉めると瞬時に1人で寝ていた。
楽だけど、指しゃぶりのタコは大きく唇の上にもタコができている。
指しゃぶりがいつとれるか悩みつつ最近は出っ歯にもなってきたので気になる。

私にとって18時半以降が家事をしたり
お菓子を暴飲暴食して育児疲れを発散できる良い時間だった。

なのに3歳になったら20時半すぎまで起きているようになり
下手すると夜10時過ぎまで
一緒にいて〜。」「絵本読んで〜。」「トイレ行く〜」と起きている。

今までほおっておけば寝ていた息子に対して
なにをすれば寝るのかちっとも分からない。

私はお風呂上がりに洗濯物を回し浴室乾燥機で干しているのだけど
寝ない息子は洗濯物を回すボタンを押し「洗濯物はまだかなぁ」と待ちわびる。
自分の洋服をハンガーにかけるお手伝いを楽しみにするようになった。
いいのか。。悪いのか。。ますます寝る時間が遅くなる。

朝に洗濯物を回す時間もなくお天気を気にしていると
洗濯物がたまるストレスから夜に洗濯物をしている。
朝か夜か洗濯物はいつすればいいのか揺らぐ。
昼間も一緒にいるのだから早めに解放して欲しい。

そうこうしているうちに4月になり
幼稚園に入ったら午前中に私の時間も少しできたけど
(とはいえ始めの4月から5月は1時間保育。
早くても往復20分かかるから私の時間はほぼない。
ぎっくり腰にもなり辛い。歩みが遅い。
靴下履けずにいたら息子が履かしてくれた。優しい。
夫はご飯用意してくれた。優しい。)

午前中は私の体が動きにくい。足冷えてるから血流が悪いのかな。
楽しい時間はやっぱり息子が寝たほっとした夜だ。

3歳になったら指しゃぶりをやめると言っていた息子。
指をしゃぶることもほとんどなくなり(寝てからは少々しゃぶる)
その指の代わりに私に甘えるようになったようだ。

だけど息子の日課はまた変化し
洗濯後「じいじにでんわ〜」と言い
最近は20時頃に寝室でじいじに毎晩、電話し歌やお話をしている。
私はそのとなりでゴロゴロしつつ息子が寝るのを待つ。
寝た息子の後は私がじいじと電話を変わるので次は私がじいじと話す。
毎晩の話の内容がほとんど病、体の事で憂鬱。
(じいじは息子には健康の話はしていない。)

明るいことを話したいのだけど願い叶わず内容を思い出し朝起きても憂鬱な気分。
どうにかできないものか。
そんなじいじはおかげさまで健康なようだ。
じいじ効果か息子の指しゃぶりは治りはじめ、出っ歯も治ってきた。

息子はじいじとお話してからオルゴールをかけて寝る。
きっと幸せ。

item.rakuten.co.jp

 

2017年幼稚園面接当日

乗り越えて 絆がますます 強くなる?
 

<面接>第一志望の園は願書を夫が朝6時に早起きして行ってくれたので
    9時の面接になる。

園長先生がいるお部屋に呼ばれる。
親子面接。
息子への質問がほどんどだった。
名前、色、好きな食べ物、遊びについて。

名前が言えなかったら落とします。と見学会で言われていたので日々特訓。
息子、小さな声だったけど名前を言えたのに
もっと大きな声で言って欲しかったのか、聞こえなかったのか
園長先生が5回くらい「お名前は?」と聞いてきた。
子供に接する話し方ではなく大人に対する話し方での質問。
私が小さい時にこの状況に立たされたら怖くて何も答えられない。
息子この時、2歳8ヶ月位。
あまりに何度も聞かれるのでどうしようもなく思ったのか追いつめられて
椅子の上で上半身を左右に回転させるように動き始める。
真面目な場面でのその動きがとても面白く思える。
へんな動きはしたけど息子頑張って一通り全部の質問に答えられた。

私への質問は子供は日頃どのような遊びをしているか。
お友達と遊んでいるか。子供の性格など聞かれる。
私ドキドキしていて語尾がおかしくなる。「〜ございますです。」
息子より私の方がダメだ。

次、 担任になるであろう先生にまた親子面接。
私が面接の部屋に入る前に次は積み木で遊べるよ。と息子に言ったため
息子は先生の後ろにある積み木の箱のところへ一目散へ行き
積み木をとって私にもってきた。あぁ〜余計なことを言ってしまった。
気をとりなおして、先生の手元の積み木を見るように息子に伝える。

席につき、また息子は名前を聞かれ、好きな色や積木の色についても聞かれる。
先生が積み木で作った汽車と同じものを作るテスト。
全部できた。
よくできた!息子。これで受からなかったら私のせいだ。

 

家に帰り第二希望の幼稚園の面接にむけて昼食をとる。

<第二志望の面接>9時に願書を出しに行ったら14時45分の面接になった。
親子分離
私は志望動機などのアンケートを待っている間に書かされた。
落ち着いて家で書きたい。
待ち会い室にいる間、この園にはもう来たくないなぁ。となんとなく思ってしまった。
エンターテイメント性も高く先生が笑っていてかわいくてとても人気の園なんだけど。
夫婦で面接に行かなければいけない園なのに私と息子2人。
だって夫仕事休めないんだもの。仕方ないじゃない。
休めない業種もあることを知ってほしい。

私は園長先生の部屋に呼ばれて面接。
息子の名前の由来
登園方法
今まで園の行事に参加して印象に残ったこと

私が面接を終えて息子を迎えに行くと
息子は先生と他の部屋で遊びながら質問をされていた。
先生「何才?」
息子「2才』
先生「洋服は誰が買ってくれたの?」
息子「おかあさん」
先生「おかあさんは優しい?」
息子「世界一かわいくて優しいおかあさんなの」

うん。世界一か。かわいいか。最近一気に老け込んでいるけど。
疲れて体力もないからあまり優しくもないのだけど。。
日々の夫の刷りこみが効いている。
長いこと息子は先生と遊んでいたから他のこともたくさん質問さてれいたと思う。

息子と帰る。乗り越えた。絆は更に深くなった気がする。
面接には来れなかったけど夫も出来る事は一緒に頑張ってくれた〜。

面接すべて終わった〜!

結局、黒いパンプスは新調しなくてもよかったな。
園に着いたらすぐ脱いだから誰も見る人はいなかった。
少し古い黒のパンプスでもよかった。
いろいろ神経質になって全部揃えてみたけど今後着ることってあるのだろうか。
でもこの一回に全力を注がなければと思ったのだから必要なものだったのだろうけど。

 フォーマルスリッパはスーツに合わせるなら必要かも。
でもお受験用!とスーツもスリッパもあまり気にしていない人もいたから
(花柄のルームスリッパなど)
ちゃんとしています。という感じがすればいいのかもしれない。
私は気が小さいのでできるだけ全部揃えてみた。

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